2021/12/19

雪/1013hPa/体調:そこそこ

雪がすっかり積もったので、雪かきとか。
予定通りに母が入院しました、予定通りならギリギリ年内に退院する予定です。というわけで最低でも年内は家事の大部分をやることになっているので、そこそこ忙しいです。本を読めてる理由にはこういう生活だと待機時間が長くなるので本を読むのが捗ると言うのもあります。

読んだ、観た。

平田駒『スガリさんの感想文はいつも斜め上2』。


意外と反骨精神のあるタフな話でとても良かった。根底の思想として、本を読んでどんな感想を抱いてもいいのはもちろんとして……と言う内心の自由の肯定が強く感じられます。この巻はかなり直接的にそれを扱っている印象。『変身』も『ハックルベリー・フィンの冒険』も語り手の視点からは見えてこないであろう真実が存在するタイプの文学作品で、作者はそれを意図してやっている、読者はそれをどうにか自分の解釈に当てていく。と言う部分があるところはあるよね。『ハックルベリー・フィンの冒険』の中では先行研究に関する言及もあるし、作者はかなり資料にあたってこの作品を作っているのではないかしら。その上で「本編でのスガリの行動・精神性に強く絡める」と言うアプローチを取っているのがよかった。真相のさじ加減も結構好き。作者の理念が強いのが、個人的にはいい方向に作用している小説だと思います。

『結城友奈は勇者である 大満開の章』12話。


ようやくここに来て「勇者の章本編終了後」のエピソードが始まって終わりました。勇者部の活動は続いていくEND。登場人物たちの成長した姿が初めて提示されたし、それぞれの成長にらしさと中学生の頃との違いが両方強めに描かれていた印象。にぼっしーお前だけあんまり変わってなくなかった? あの世界でエネルギー問題を解決するには世界を開拓する以外にはきついと思うんだけど(とりあえずまずは水力発電を増やし蓄電システムを構築する、バイオプラスチックなどを作るための体制を作り出すなど、化石燃料に依存しない技術を伸ばす必要があると思う)、出雲から上陸し原子力発電を目指す道のりが描かれていますね。たぶんこれは乃木若葉に対する返答だし、繋がれてきたバトンとして白鳥歌野の名前が語られているのもファンサでしたね……結果として人類は神に頼らずに生き延びる道を選んだのだし、それは大赦があんなふうになってもなお、失わなかった理想であったものだから、それを描いた楠芽吹の章をアニメ映像にした意義も理解できる。

『ダンボ』


けっこう好きなんだけど映画としてはそれほどでもって感じのリメイク版実写ダンボ。ティム・バートンの色彩感覚で綴られるサーカスの舞台の色鮮やかさが生み出す幻覚じみた世界、そこから離れた時の極端な現実のギャップが映像的なメリハリになっていますし、ダンボのことは好きなので、スクリーンで見ておけばよかった気持ちがけっこうあります。とくに旧作オマージュで、シャボン玉として「ピンクの象」をやる場面の悪夢は体験しておきたかったです。
話は動物主体の旧作のそれではなく、ダンボを支える人間のドラマ構造に変化しています。そしてヴィランとして出てくるのは「ウォルト・ディズニーと同年代の『ドリームランド』と言う遊園地の運営者。差別的なところもあるブラック社長」と言う感じで、遊園地が炎上して消えていく話です。思想がけっこう強くないですかね。全体としてはかなり手堅い作りで、明確に悪いところはなく、しかしすごく人気が出る感じもないみたいなタイプの映画。
旧作とは違い、アジアゾウとして森林に戻って暮らすことになるダンボとジャンボと言うラストシーンに物語が終わるわけで、そこへの賛否がけっこうあるらしいです。動物の意思ではなく動物のコミュに戻らせるのもまた人類のエゴみたいな。というかまあ……その……サーカスのために動物を捕獲してしまう段階で、そこから先は全部なにやっても人間のエゴなんですよ。一度でも人間社会の枠組みに組み込まれた動物は、野生に返そうがそのまま飼育しようが人間のエゴの中なんですよ。そもそも「動物にとっての幸せ」って話が人間視点すぎるんですよ。動物は自分が幸せかどうか考えてないと思いますよ、そういうものがあると思って議論するのがもう人間視点。と言う考え方がだいぶ浸透しているのが現代なので、現代にリメイクされたダンボのEDに「動物を使わないサーカス」「動物は動物として暮らしてもらう」は比較的エゴが少なめの終わらせ方であると感じました。ティム・バートンはそういうふうに考えてるタイプだと思うよ。

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