2019/08/18

快晴/1009hPa/体調:そこそこ回復

察しのいいフォロワーさん達「わかるんだけど、これを海人さんが言っていることで『不幸少女のキメすぎでは……?』となってしまうね」
僕「はい。ご察しのとおりです。登場人物は全員不幸少女であっても、それで物語が機能するなら、なんら構わないと思います」
ただ登場人物に不幸少女がいると拮抗が崩れる物語なら、そこには不幸少女がいない方がずっといい。

真面目に話すと「キャラクターには欠けたチーズが必要なのか」「物語はそれを埋めるために存在するべきなのか」と言う方向の問いかけですね。
これを「そうではない」という方向に舵を切っているのに、ドラマ構造がきちんと成立しているのが、ゆるキャン△の巧いところだと感じた。と言う話ですね。
例えば1話なんかは「序:キャンプの昼の描写」「破:日暮れから夜の描写」「ミッド:なでしこ拾うところ」「急:カレーめんと富士山の描写」と言う構造にきちんとなっている。

僕が今影響を受けているのを感じる花田十輝さんなんかは、「欠けたチーズがキャラクターの背骨となっている」タイプの作風ですね。あの人、メイン登場人物のチーズが全部欠けていても話が成立するんで、強いですよ。
ただ「すごく不幸」であることは別に求められていなくて、「なんとなく不満がある」とかでも十分な背骨に出来るっていうやり路線ですよね(ユーフォがわかりやすいかな)。

僕はどういうタイプかと言うと「なぜこの物語にはこのキャラクターが必要なのか」「あるいはなぜこのキャラクターにはこの物語が必要なのか」を考えてしまう方で、ドラマがある方が安心します。読んでても観てても書いててもそうです。

なおこれはどっちかと言うと創作ジャンルの中でも、とくに小説の話だったりします。

読んだ、観た。

『ランペイジ』まったく期待せずに観たのですが、予想外に満足してしまった。これだけスピード感がある映画、あんまりないですよね。余計な事に悩むシーン、一秒もなかったのでは? 頭空っぽにしてみる映画としては完璧に近い出来だと僕の中ではとても評判がいい。世間的にはどうでもいい映画だと思う。

藤のよう『せんせいのお人形』42〜57話。エロい展開になった。かなり核心的な台詞が出たけど、まだここで全体の半分なのよね? 52話くらいからどんどん知育漫画になっててちょっとびっくりした。スミカ、こんな風に人と関われるようになっていたんだな。

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