2020/09/06

快晴/1012hPa/体調:そこそこ

なんかうつ感はあって、日中は死んでました。気候的にまあ仕方がない。それはそれとして今日はオタク長文放出するだけの日記です。面倒くさいのでブラバするのが吉かも。

観た。

『仮面ライダーセイバー』1話。主人公は作家、子供の面倒を見るのが好き、優しくて勇敢。約束という言葉をものすごく重視する。と言う人物をであるのをかなり直接的に表現するのに、まるまると1話使ったなあ。と言う感じでした。作家キャラで締め切りを守る、これはもはや個性だと思うのですが、これも約束だからなのかな。「頭の中には全部ある、しかしまだ書いてない原稿」を、仮面ライダーとして戦った後にその日の夜には手書きで書ききるの、凄いキャラ付け。今のところは様子見ですが、本をテーマにした作品という事で「本は面白いよ! 読もう!」「話を書くのは面白いよ! 気軽に書いていいんだ!」をやってくれる方向に行くと、嬉しいなあと思います。
もしかして普通のホモ・サピエンスには締切を守ることができないのでは?

キラメイジャー、半年くらいは引っ張れそうな「ヒロインであるマブシーナにかけられていた魔女の呪い」を前後編で解決してしまったぞ。まあその事でずっと悩んでいるよりは、さっさとみんなで笑顔になれる解決策を見つけてしまうと言う物語のほうが、圧倒的にキラメイジャーっぽいんですよね。知恵と柔軟な発想、みんなの個性と信頼関係で成立するキラメイジャーと言うチームがみんなのヒーロー、みんなのヒーローはあなたのヒーローである。と言う感じの直球の物語が気持ちよかったです。いい番組。

なにが言いたいか整理すると「ホビーアニメとしてはビルドファイターズ最高だよ! 好き!」と「ジュブナイルSFとしてリライズよかった……ほんと好き!」、「倫理を扱うSFとしてガンダムブレイカー3はいい、プレイして」と言うだけの事を以下に長々と書きます。

ガンプラは自由を謳ったビルドファイターズですが、あのホビーアニメは「ガンプラバトルをするガンプラを売り出す作品」であったわけで、どうしても軸としては「ガンプラバトルをするガンプラ」だったんですよね。それに加えて「ガンプラバトルは最高だぜ!」です。作劇がすごくよくて、本当にガンプラバトルが最高なんですよ。友情と愛、出会いと別れがあり、人と人はガンプラバトルで結ばれ、悪の野望はガンプラバトルで破れ、ガンプラバトルで成長した人々はガンダム世界ではなしえなかった奇跡を目の当たりにする。おお、戦争ではない、我々は趣味としてガンダム作品で活躍するカッコいいMSが戦っている姿を楽しんでいい、趣味で! これはガンダムからガンプラを解放する作品でした。

ところが「ガンプラバトルそのものだけを物語としたビルドファイターズトライ」は残念ながら一作目ほど面白くないと言う評価が待っていたわけです。これは全体的に主人公やライバルたちの魅力をうまく描けなかったとか色々あっての事だったわけですが……主役機ビルドバーニングガンダムが「ガンプラバトルのために作り出された、ルーツを持たないオリジナルガンプラ」であった事が象徴するように、なんかこう、「プラモ制作よりもガンプラバトルが上にある」と言う感覚も関わっていたのではないかなーと思います。最序盤の敵がプラモ部って言うのも示唆的。ガンプラバトルのためだけに存在するガンプラ、どこか息苦しい感じがする作品ではあったのではないかと感じています。

そんな中ひっそり発売していたガンダムブレイカー3でもガンプラバトルは行われており、これはかなり面白いSFだったりしました。ガンプラバトルするゲームが一般化した社会、ガンダム世界のように軌道エレベーターが開発されエネルギー資源のあり方は変わろうとしている未来、主人公たちはガンプラバトルで活躍することで町おこしをしたい少年少女のチーム。そこに加わるゲーム世界でしか言葉を話せない人工知能の友人。突きつけられる数々の社会問題!(トイロボットが優しいいいヤツだった場合、子供がもしトイロボットを守るために車に轢かれるような事故が起きたらまずいので、倫理的にはトイロボットは喋るべきではない)(その社会でトイでしかないガンプラバトルで町おこししていると言う価値観は是とされて良いのか?)(ガンプラバトルの中で他者とは違う異能《覚醒》を持ってしまった主人公は、以前のようにいられるのか?)
DLCでは社会問題を隠す気がついに失せきって「軌道エレベーターと太陽光発電の一般化により、石油産出国の中でも小国である国家は滅びる他道がない、その生命を守るためには軌道エレベーターをテロによって破壊するしかない」と言い出します。「トイ・ホビーは単なる娯楽ではない。それは経済活動であり社会活動であり、人々の人生や生活に大きな影響を与えている。それを無視することは人類に不可能である」と言うのに踏みこんでいるんですよね。趣味の戦いは趣味の話では完結してくれない。まあこのストーリーは全然注目されなくて歴史の闇に埋もれました。僕の中ではこのゲームは「ガンプラバトルを語る物語の中、ホビーはどういう存在であるのか」をくっきり描いた物語として印象的です。

ではビルドダイバーズはどうか。GBNと言うゲームシステム、ゲーム世界に向けられる悪意と戦う序盤。趣味を守るために趣味の世界で戦う、あまりにも健全な面が押し出されます。ガンプラバトルがメインの世界ではあるものの、それ以外に目的を見出し趣味の活動をする人々を描き、その上で「その趣味の世界は、ヒロインの抱えたバグによって崩壊する」と言う問題が起きる。アプローチとしては「ガンプラバトルで決着をつける」話に終始しており、これらの問題はゲームの外に飛び出すことはなく決着します。ここで物語の解決として「ガンプラ」が使われるのです。史上初、不幸少女のプラモ化! これによってビルドダイバーズは世界観に「戦わないガンプラ」をはっきり提示したんですよね。

Re:Riseは実は、主要登場人物に、ガンプラバトルを価値観の上位においているキャラクターがそもそもいない。彼らはそれぞれの都合でGBNでの冒険こそしているものの、ガンプラバトルに没頭していると言う人間ではない。そんな彼らがガンプラバトルと勘違いしたままリアルの戦争に関わり、冒険を行う冒険ものと言う作品でした。主役機コアガンダムは冒険のために制作されたガンプラであり、その機能もバトルが上位にあるものではない。最後に登場するネプテイトアーマーはヒロインのどこまでも冒険しようという気持ちを体現したガンプラで、作中でも戦闘することはなく、惑星エルドラの衛星軌道を巡る星となるのです。またほぼガンプラに関わらない登場人物であるヒナタの存在が大きなファクタでもあり、彼女の祈りや優しさこそが間接的に惑星エルドラを救っているのですが、それはガンプラとは関係のない世界の物語でしかないままに物語は幕を閉じる。
リライズで語られた物語は「ガンプラはバトルだけの道具ではない」し「そもそもガンプラバトルもしなくていい」人々を主人公に据えたものであったと言うのが、一番の特徴だったのではないでしょうか。考えてみればそちらの方がガンプラをよほど自由に作っていい世界なわけです。ある意味において「ガンプラをガンプラバトルから取り戻した作品」なのかもしれません。

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