2021/10/03

晴れ/1025hPa/体調:よいめ

朝P起きた直後は昨日の耳鳴りが続いていたのですが、わりとあっさりなくなって今はなんともない。たぶん気圧の変化によって起きるものだったんだろうなと。

観た。

『イエスタディ』

作り手の意図も受け取られ方も「軽く見られるラブコメディ」何だと思う。僕はちょっとだけビートルズが好きなもので、色々あったよ。

売れないシンガーソングライターのジャックが事故で昏睡し、目覚めた時には世界は変わっていた。その世界は誰もビートルズを知らない世界だったのだ! と言う粗筋だけでだいたい説明が終わるコメディです。両片想いと言う風な幼馴染エリー・アップルトン(演者のリリー・ジェームズが魅力的で「田舎暮らしの美人の幼馴染、恋愛対象として意識しづらい」と言うキャラクターの質感があってとても好感が持てるキャラクターだった)との恋愛を中心にしたコメディとしてよく出来ています。

「ビートルズがないので、第二のビートルズたるオアシスもありません!」と言う感じの設定みたいなのですが、さて。どうなんだろうね。コカ・コーラもタバコもない、しかしそれらによる経済/社会/文化的な影響は感じられない画面の作り。「ビートルズが存在しないわりには、社会的な影響が大きくなさそう」なんですよね。
消えるのオアシスくらいなわけないじゃん。バンドだけに留まらず、レコーディングを中心とする音楽制作スタイル、映像作品、そしてポップカルチャー全体に影響を与えるビートルズが抜け落ちた世界が「ほぼそのままの21世紀」になるとは思えませんので(例えば島田荘司がビートルズの演奏をしてる映像が存在しない社会になっちゃうんだぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!)、案外もしかするとひょっとして「ジャックの認識は正しくない」のかもしれません。オアシスもビートルズみたいに消失しているだけで、ビートルズがないならオアシスがないではない可能性がある。ローリング・ストーンズはまだ現役っぽい描写もあったし。

ジャックの音楽的な能力と言うよりは、作詞作曲における致命的なセンスのなさ笑いどころなんですけど、ジャックが好んでいるのはどうもポール・マッカートニーの作詞作曲みたいなのがけっこう「エグい」と言う印象も受けます。『エリナー・リグビー』が思い出せずに混乱するシーンはけっこう長く、その中に「米ってなんだ?」がある。これは教会でライスシャワーの米を拾う場面なのですが、その発想が「実際に聖地を見るまでわかっていない風」とも取れる。詩人としてのポールやジョンを理解できていない様子だし、場面を想像する能力が不足している描写なのかもとも思います。エリーの心情や立場を想像できずに恋愛が発展しないジャックと言う人格だから、物語のテイストの強い楽曲をうまくトレース出来ないんではないかなと思って見てました。なおエリナー・リグビー(実在)が楽曲『エリナー・リグビー』のモデルではない、楽曲『エリナー・リグビー』のエリナー・リグビーは架空の人物であり、その人生を歌った曲と言うのがポールの主張ね。

前半はとくに、ジャックは好んでメロディアスなポール楽曲を再現してます。しかしビートルズはけっこう元の曲が複雑なレコーディングだし、ジョージの弾く12弦ギターの音もないのでギター曲でも寂しいみたいなところが出てきて「オリジナルのオリジナリティを再現できていない」と言う状態に陥っている様でもある。
アルバムタイトル会議で『ホワイト・アルバム』が出てくるのも変で「そもそもあのアルバムは正式にはThe Beatlesなのに俗称を使うのか? あと当初はA Doll's Houseと言うタイトルが計画されてた」みたいな話をジャックは知っていてやっているのかやっていないのか、判断つかない。

『ヘイ・ジュード』のタイトルもちょっと思うところがある。あの曲、「ジョン・レノンはショーン・レノンにではなく、ジョン・レノンについての曲だと思っていた」と言うインタビューがありまして、歌詞の解釈として「相棒」はそれほど的外れではなく、あの説明をされてなおエド・シーランがあの提案をするのは、エド・シーランの感性だからこそかもしれない。音楽の解釈の能力について、ジャックが優れている感じはない。

ジャックはショップではお客さんに好かれている人格と言うし、エリーも結局は音楽的な才能で……と言うわけではない。人格が好きなのだから。というのも含めて。こう。ね。かなり痛々しい。

その状況で「ビートルズを演奏し続ける地獄」を送り『ヘルプ!』(レノン楽曲)を一人で歌う。そしてその後「暗殺されていない、バンドマンでもないジョン・レノン」と言う「象徴」と出会うことにはけっこう意味を考えさせれる。この世界ではビートルズのマネージャーであるブライアンはどうしたんだろう。作中一度も名前が出ていないけど、同性愛者でジョンに片思いしていた彼の存在は、ジャックにとってのエリーと重なる要素であると言う気もする。僕はいよいよ自分がなにを書いているのか自分でわからなくなってる。

物語の結末は『オブラディ・オブラダ』なんですけど、こオブラディ・オブラダと言う言葉はナイジェリア人のコンガ奏者ジミーの口癖をポールが引用したもので、彼は著作権をもとにポールに金銭請求を送っているんですよね。ジミーが逮捕された時にポールが法定費用を出して和解してる……と言うので、この映画の最後の映像にかぶせるのは意味深に思えてしまう。ビートルズファンならそう思うと考えてのチョイスなんだろうか……。
(なお映画中ジャックのルーツについてはあまり触れられていないけど、演者さんはケニア系みたいですね)

ニチアサ各種。ゼンカイのハカイザーが予想通りなのに口調だけ日曜日のパパなの想定してなかった。リバイスも今のところ安定して面白いので、あんまり悩まずに見てます。

『結城友奈は勇者である-大満開の章』1話。

むちゃくちゃ明るい話をやってきたので「つまりいつも通り、1話のラストから曇らせを入れる導入ね」と言う安心を得てしまった。ワカバードの声が実際に若葉ちゃんだったのが確認できた。
東郷さんと園子が楽しそうでよかったし、料理が出来るようになっているにぼっしーとかありがたかった。みんなの曇り方で作中時間特定できるの親切なアニメですね。
防人組出てくるっていうか、まず勇者の章との時間軸すり合わせしてから勇者の章の続きをやるつもりなのかしら。登場人物が増えるのをいきなりやるとアニメ勢はわけわかんなくなるし、悪くはないかな。追いついたらそこから続編としての本編という事か。

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