2019/06/22

曇り/1009hPa/体調:眠かったが悪くはない

ちょっと価値観があわないなと。この漫画ネタとして楽しんでいるのか、本気でその作品を面白いと思っているのか、区別がつかない(あるいは意図的に区別していない)んですよね。

エメリッヒゴジラ、たぶん「ホラー映画と言えばモンスターパニック映画、とくにジュラシック・パークに象徴される時代だった」とか「アメリカ人は冷戦を終えて核戦争の驚異から回復していた」とか「ジュラシック・パークの影響なのか恐竜型のモンスターをリアルっぽく描くと受けてしまう」とか、そういうのが全部重なった「20世紀末の制作チームにとってのリアリティを感じるように考えた、ゴジラをオマージュした別の怪獣映画」があれだったんじゃないかなーと思いますよ。

ゴジラのキャラクター性(wikipediaから借りてきた表現)の差がどうして生まれたのかって言うと、これはエメリッヒが別にゴジラをリスペクトしておらず、タイトルを借りて作った怪獣映画でしかなかったからだろうなと思うので、ここはやはり好きではない。(なにせ「エメリッヒは何度もオファーを断っていたが、怪獣のデザインが決まってから引き受ける気になった」というのは、やはり「ゴジラと言う単語を聞いてイメージできるもの」を作る気はなかったからでしょう)(しかしデザインも作品もまったくゴジラをリスペクトしなかったということはなかったのがちょっとややこしい)

僕は20世紀末のモンスターパニック映画としては「あたり」の部類だったと思うくらいには面白く思っているので、エメリッヒゴジラはつまらないというのを共通の文脈として用いられると「価値観の相違がある……」ってなります。

なお「親ゴジラは工夫すれば殺せた。小ゴジラも大半を焼き尽くした。しかし全滅させることができなかったのである……」みたいなラストも、人間ではゴジラを倒しきれないというのを、真面目に再解釈してああなったんじゃないかしら。僕の中では「パニック映画のお約束を踏襲しただけ」よりは「人類に倒し切ることのできないすごい怪獣なので、なんとアメリカ軍と戦っても生き延びている」と言う話のほうが納得がいくんですよね。

こういう風な形では一応ゴジラに向き合っていると思うので、なんかすっごく嫌いな映画にはできないんですよ……。とくに「本当にでっかいトカゲ」とか言われると、実は違和感がある。ふつうのトカゲは二足であんなに軽快に走らない……! ティラノサウルスの復元の形態を模しているのは明らかにゴジラに対するオマージュだよ……!

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