2020/08/31

曇り/1014hPa/体調:まだ腹痛が続いている

腹痛がヒドくて終業後だいたい横たわってました。ちょこちょこTwitterとか見てますけど、あまり書きこむ元気がない生活が続いているのでよくないなあと思います。

『忍者と極道』32話、個人的にはちょっと気持ち悪い回です。この作品では忍者サイドはだいたい「表の顔としての職業」を持っているし、極道さんもダイバンの社員という面を持っているし、聖華天の主要メンバーはそれぞれが挫折や失敗不満などを抱えつつも社会人として生活を抱えていた話になっています。殺島が出て以来の展開、殺島とガムテと忍者だけが「カタギの仕事を知らない」と言う構図が続いているんじゃないか、意図的なのではないかなと言う気がするんですよね。たぶんそれが「子供」と言う話に決着するのではないかとは思うんですけど、ちょっと個人的に気持ちが悪い。殺島に叩きつけられた「大人になってよ!」、極道の世界しか知らない彼にとってあまりにもキツいと感じてしまう。僕の中の大人観、「大人はまっとうな倫理を持って生きていて欲しい」が締めるウェイトが大きいのだろうと前から思っているんですけど、どうもそこと微妙な衝突を感じるんですよね。たぶんここ、作者さんとズレがあるんだろうとは思う。

殺島が大人になれなかった理由は、まっとうな倫理を学ぶ機会が与えられなかったからだと言う感覚があるし、それは大人の責任なんだと思うんですよね……。極道さんの「全部忍者が悪い」は子供に対する洗脳だと感じるので「うっ」となってしまう。夢澤の兄貴の「人間としてのまともさがこれでもかと強調された、でも生首量産するような不整合さ」もかなり「うっ」となったんですよね(これも価値観の無邪気さで、子供っぽさを感じるんですよね)。まあ「うっ」となる作品はまず面白いからなので歓迎ではあるんですけど、この「うっ」の機会の多さはたぶん、娯楽として『忍者と極道』を消化する事へのストレスにちょっと繋がっている気配がある。だいたいの「うっ」が極道に生じているので、これは完全に作者の意図なんですけどね。感情を動かされる漫画は読んでて楽しい。
(それはそれとして、みんながはしゃいでいるかっこいいシーン面白いシーンの展開に、僕だってもっと乗りたいと思うんですよね)

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