2021/02/10

曇り/1015hPa/体調:良かった

タオトロのイヤホン試してみたい層向け情報Twitterに載せたんではっておきます。タオトロみたいな格安よりは素直にAirPodsみたいな全世界から賞賛されている商品が間違いないはあります。
1万円しないこの世の全てのイヤホンは「最強を買う予算はない」人向けの商品ってところあります。これはあらゆる家電製品で言える事なんで、言っても仕方がないんですけど……。

僕も次にオーディオ製品買う時には「見た目もいいからAg」とか言い出すかもしれない。「基準を満たした性能と値段」で買える選択肢が広いのはやっぱいい事だよ。

読んだ、観た。

『ジョーカー』


あまりにも完璧な世界の悪意。恵まれない人生を送り、人のためと思うような事は失敗し、犯した誤ちばかりが世間の称賛を浴びたコメディアン志望の男が、スーパーヴィラン「ジョーカー」へと変貌していく物語。
はっきり言って名作だし、見て楽しい部類ですらあると思います。怖いと言うか、まあ「善悪をひっくり返す様な作劇」があるんですけど、『ジョーカーがいかなるヴィランなのか』をあの顔見て理解できる大人が見て「ジョーカーはヒーローだ!」ってなってプラカード持って国会の前に座りこんだりはしないと思うし、きついシモネタとかないのでR15映画としては見やすい部類に入ると思いますよ。

目を離せるようなシーンが1カットもない素晴らしい映画。時々時間を確認しながら見たんですが、明確なミッドポイントが2時間の中で3箇所あってだいたいちゃんと30分ずつと言うスタンダードな作りなんですよね。例の階段でのダンスは4幕が始まったと言うところにある。ホアキン・フェニックスの演技も抜群で、ホアキン・フェニックスのジョーカーが一気に好きになってしまいました。
一人の人間の「オリジン」として完璧な説得力。終わってみてもどこからが悪夢でどこからが現実なのか、断言できない。正邪どちらが『正しいんだ?』を常に意識させてくる作劇。「対比」と感じるシーンも多い。

かなり特徴的に感じたところとしては、アーサー、最初から最後まで一度も下ネタを口にしないんですよね。人を馬鹿にするような事も全然言わない。作品の舞台が1981年である事を考慮すると、コメディアンでこれはやっぱかなり異質です。昭和終わってないですよ。日本のこの時期のバラエティはドリフとかタモリとかさんまとかだし、世界的にもまーと言う時期。その年代でシモネタを言わないコメディアン、確かに「コメディアンの才能が足りてない」んですよね。

その彼が『ジョーカー』に変質してのラストシーン、「やったぞ!」と言う気持ちがこみ上げすらする。喜劇のあり方を自分で定義するテレビショーでのジョーカーの姿は心地よく、まるでヒーローの様にスポットライトの下に存在している。ただしこの物語の語り手はジョーカー本人で、彼は全く「信頼できない語り手」であるから……と、心が冷えていくんですよね。

炎上するゴッサムのBGMだったWhiteRoomはかなり好きな曲です。エリック・クラプトンのギターが心に染みる。あの曲が陰鬱ではなく聞こえるの、すごく印象に残る演出。音楽や音の使い方が印象的な作品だなと思っていたのですが「曲の印象を変える様に曲を流す」完全に狙っていますよね。

『ゆるキャン△Season2』5話。


ゆるキャンでたぶんもっともゆるくないエピソード、山中湖キャンプに突入(すでに寒い寒いって話をしている通り、寒い目にあうからな……。体力があるとはいい難い10代の女性が3人、キャンプは始めたばかり、山中湖、冬。知識不足の描写もすでに提示されている。マジに危ない状況なんですよね。
そういう状況に突入しつつあるのに温泉とスイーツ買い物を満喫する部分なので、単話ではゆるゆる。ん……まって、今気がついた。もしかしてSeason2、ちくわの出番ほとんどないんじゃない?! ち、ちくわ! ちくわがかわいいだけのオリジナルエピソードを作ってくれ! ちくわーーーーー!

白鳥士郎『りゅうおうのおしご!』14巻。


なんか一番廉価なノーマル版の表紙が一番作品のコアに近いイラストなのね(特装版の表紙びっくりしちゃった)
八一が気持ち悪いのも一瞬だけで、ほぼほぼシリアスな回。「最近出番が少ない」と言う僕の前巻での感想のぼやきを回収、あいちゃんがなんで出番が少なかったのかと言う話に踏みこみます。姉弟子のプロ棋士としてのデビュー戦を終盤に起き、それまではドラマ展開を中心としているのですが、これがわりと「確かにこれはセキュリティホールだな」みたいなところを軸としていて意外性がある。この作品は捨てキャラがいないんで、モブかなーと思っていたのも重要な役割を担いそうですね。
ソフトウェア周りの話についてもかなりつっこんでいて、作者の手腕が発揮されて印象が強いです。師匠とか最近内面が全然描写されていないのも意図があるはずだよな。全体的にかなりの伏線がまかれた気配があって、これは作者による「寄せ」に入ったんだろうと思います。完結が見えてきたと言う事。

この小説、主要な視点人物である八一は「異常な能力があることを自覚していない、自覚できない語り手」なんで、何を書いていないのかを読む力がかなり試されるんですよね。そもそも「あいにはなにも教えない」と言う教育方針が異常である事も、そこに倫理的な葛藤を覚えている様子を見せないんですよね、こいつ。八一が当然と思っている「将棋指しにとっては将棋がすべて」、これが八一の思いこみなので……。あいは「将棋がなければ」と考えるし、銀子も将棋よりも優先してしまいそうな人間がいる故の葛藤を抱えているみたいな思考がマジにないんですよ。

ただこの話を「八一が人の心を理解する話」にするつもりはないでしょ……作者。八一は人の心を理解できない竜王であり、そのままで人々に愛され、憎悪され、そして勇者と決着を求める話になるはず……はず……?
この状況で一人、最速の一手を打ってくる天ちゃん、いい女だよ……(11歳の女の子へのコメントではない)

コメント

タイトルとURLをコピーしました