2022/09/27

曇り/1016hPa/体調:午前中は死人

友達の子供二人とスプラ3でバイトやるの超楽しい。娯楽を楽しむのにおいて、世代差とかほんとバカバカしくなるな。

昨日今日でアニメや本の感想だけで5000字書いてて仕事でもけっこう書いてるのでさすがにちょっと書き疲れている気がする。

読んだ、観た。

今期最大の話題作最終回。

真島の「いい人同士が殴り合う。これがこのくそったれな世界の真実だ」からの数分間が圧倒的に面白かった。

そこからのミカがマジに冗談にもならないくらいに圧倒的に強いの「世界の嘘が適用されていない」んですよね。身も蓋もないんですけど、鍛え抜かれた成人男性による格闘戦こみの戦闘、本気でまったく他と比較にならない。作品最大のインチキの一つであるミカの存在こそが、作品全体のウソを暴く構造になっている。訓練に訓練を重ねた成人男性の軍人には勝てない。

ミカヨシ完全な夫婦なのでもうどうしようもない。おそらくミカヨシは意図的に「親の権能」を分けて与えられている。彼らは父であり母である。親ゆえに、子供の可能性を信じるし、子供の行動をコントロールしようとしてしまう。家族らしい、完全に閉じた関係性の二人。ここが一番「お互いにお互いしかいない」んですよね。シンジはウソを言わない。あまりにも象徴的すぎる台詞。ミカの存在そのものが「DAがどれだけそれっぽい事を言っても、子供に銃を撃たせる理由にはならない」のを暴いている。それでもDAはウソを続ける決断を取るのがこの話なんですけどね……。

千束と真島の戦いに視点を映すと、千束はやっぱり強く、遠慮なく「実弾なら真島は死んでいる攻撃」が何度も直撃してる。防弾チョッキの上からだって実弾なら骨が砕けて終わってる。でも真島は男性で大人の肉体で、千束は実弾を使わないから結果として真島の方が圧倒するように戦いは進行する。DAのウソを暴くかのように真島は暴れまわったと言うドラマ部分と相似している。

でも千束は世界がどうとか知らない。だから世界の網から逃れるように、真島と二人で落ちていく。あの日から止まっていた真島はそのまま落ちていき、しかし友達を得ていた千束は彼女に繋ぎ止められる。千束ならかわすこともできたかもしれないそれに、しかし彼女は被弾する。

そして、ヨシさんの心臓も、受け入れてしまう。生き延びてしまう。これがどういう心境なのかはほとんど説明されない。おそらくは「諦めていた事から始める」。その中には『生きる事』が含まれている。

リコリコは全編を通して考えると、おそらくハリウッド映画、その中でも『ダイ・ハード』あたりの曾孫くらいの作品なんだと思います。作中繰り返し登場するあれらの映画のオマージュである。原案の方が書いている小説の『ベン・トー』もそういうジャンルの作品なんできょうだいだと思っていいんじゃないかな。他に近いジャンルの作品では、ややレガシーですが『カウボーイビバップ』が上げられるでしょう。家族に近い優秀な人材だらけの、しかし関係性の不思議と希薄なチーム。軸が似ている。

つまりボンクラハリウッド映画の末裔なので、リコリコはけっこうボンクラな作品なのではないか説ですね。

一応「じゃあ千束はジャパニーズ美少女ではなくブルース・ウェインでもいいのかい?」に対する答えとしては「作品の持つ虚構性のシンボルキャラクターとして、ジャパニーズ美少女の方が優れているので、必然性があるんじゃないかな」となると思う。その結果としてヒロインとして要求される権能も千束がけっこう持っていってしまったのが、たきなのポジションの弱さに繋がっている気配はあるかも。ヒーローとしての要素をもっとたきなに与えるほうがバランスが良かった気がする。結果としてヒーローにしてヒロインの千束が、半身とも言えるライバルである真島と対決する流れに、たきなは友人として介入するくらいのキャラクター情報量になっていたし、それが作品最大の弱点って気もします。

川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか』

無茶苦茶面白くて一気に読んでしまった。まず現生人類は一属一種、『ホモ・サピエンス』しかいません。これは事実であり、もはや疑う余地はない。そしてこのホモ・サピエンスがどこからきたのかと言うと、これも間違いなくアフリカである。単一起源。科学的に考えてそれ以外である可能性はゼロに近い。

しかし我々はなぜ我々だけなのか。世界各地には数多くの「他の人類」がつい数万年前には存在していたのに。とくにアジアには多様な人類が存在していた物理的な証拠がある。この事を専門家の海部氏に対して繰り返すインタビューする形で本書は進行します。

これがべらぼうに面白い。著者の川端先生がそもそも科学娯楽書のエキスパートであるのはもちろん、海部氏の研究スタイルがそれに噛み合っているのも大きい。海部氏は繰り返し標本模型を取り出し、それに触ってもらいながら説明するスタイルが「興味の線」を繋いで途絶えさせないのです。

本書中かなりの分量を使って説明されているのが、『ホビット』の通称で知られるフローレス原人です。『島の法則』をご存じの方は多いでしょうが、フローレス原人もその例に含まれるのかについての考察が長く詳しい。その前段階として語られるジャワ原人の部分で「彼らもはっきりと、生きていた年月の間に進化の痕跡がある」と言う話が効いてるんですよ。ジャワ原人がこれほど適応していた証拠があるならば、フローレス原人もまた……となるのではないかと言う気持ちが、読者に与えられる作りになっている。

この本、知的好奇心が刺激されるのが好きなら、読んで損はないと思いますね。そのくらい良かった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました