雨/1006hPa/体調:低気圧で圧迫感がある感じ
「エヴァの思い出と結びつくレベルの古いもの」を捨て去る覚悟が決まっただけでもシン・エヴァを見た価値があったのでは? みたいな心境になってきつつあります。本当にかなり捨てたんですよ。PSのゲームとかも「自分の心に根ざしていないゲーム」はもう捨てよう……。
フォロワーさんが「映画観ている間睡眠にカウントされた」と言う話をしていたので、あのシン・エヴァンゲリオン観ている時のストレス。 pic.twitter.com/xRTtjNNLFA
— KITE (@KITEis) March 13, 2021
取り乱して日本語がおかしくなってしまった。
まだエヴァを観る身体ができてないんですよね。具体的には下手にいきなり行くと、上映中にショック死するかもしれないから「覚悟を決めて体調を整える」がマジに必要そう。
— KITE (@KITEis) February 27, 2021
これが全然冗談になってなかった事が数字で証明される人間、さすがにだいぶ病んでいるのでは? と言うところで今日のシン・エヴァの続きです。折込にしてあるのは「嫌な人飛ばしてね」の意図もあります。
冷静に考えてみて「これはアフターホロコーストの村」の系列だとは思うんですよ。他人の言葉を借りると「フォールアウトとかメタルマックスに出てくるやつ」。
ニアサー当時は「キレイなことは言ってられなかった」と言う状態であったとトウジが説明しており、要するにこれは略奪や窃盗を他の村に行っていたんだろうと思う(逆に)。その後補給や交易が発生して「こう言う穏やかさ」がやってくる。と言う話は納得力がけっこうある。いや冷静に考えるとこの後破滅しかないから穏やかになる気がしないんですけど……これに納得を覚える僕の思考がなにかにハックされてる。たぶんこれ『ヨコハマ買い出し紀行』あたりの影響ではあるまいか?
この映画を見て肯定的ではない感想を書いている人、3〜4人見たんですけど、みんなこの『となりのトトロ村』でキレているし、それもわかるけどそれは庵野秀明の手のひらの上なんだろうな……。庵野秀明は観客をキレさせる目的以外で「嫁にほしい」なんて台詞言わせないでしょと思うんですよ。19話が『男の戦い』なのも、その後シンジが子宮に戻ってしまうところからこそのタイトルで、つまり古さへの嫌がらせだと思うし。ついで言うとあの村「男がどんな仕事をしているのか」については分かりづらいのも作為を感じる。
と言うか明らかに嫌がらせでしょ。「そのまま綾波(6)が、村の中の幸せしか知らないまま死ぬ」んだから嫌がらせでしょ。嫌がらせであってくれ。この話をしていて、僕は自分がなんなら一番新劇でキレているのは綾波(6)があそこであのまま死んでいる事かもしれないと自覚的になってきましたよ。作劇上明らかに死ぬしかないんですけど。
これは完全に僕のリビドーの発散でしかない話なんですけど、僕は彼女にはこれやってほしかったんですよ、これやって大暴れしてほしかったんですよ、これが見たかったんですよ、もうエヴァンゲリオンは作らなくていいから「アダムスの器が大暴れするだけのアニメ」は作ってくれよ庵野秀明。お前にはまだその仕事が残っている。友達に存在を教えられた瞬間キレましたからね。なお設定はこちら。
(お前はこのあたりの話をするならAmazonKindleUnlimitedでANIMAを読めと言う意見も見ますね……地獄に付き合うしかないのか? 設定だけ見たらダメか?)
碇シンジが彼女に名前を与える。これは露骨に「洗礼」ですよね。これは本当に比喩とかではなく「洗礼を受け、原罪から許された綾波(6)は、このアニメがエヴァンゲリオンなんで人の形を保たなくて良くなる」からLCLになるんだと思うんですよね。そうじゃなくても寿命で崩壊する運命だったんでしょうけど、物語としては寿命で死んだじゃなくて洗礼を受けたからLCLになったんだと思います。友達に指摘されて気がついたんですが、LCLになる直前の様子で白綾波になるのもそれっぽい。
村で村の食料を彼女は食べる。シンジとアスカは村の食料を食べない(だから彼女たちはエヴァに乗れる、チルドレン!)
これは彼女が村に帰属してしまったと言う話だし、原罪を背負ってしまったと言う話だし、農業で働いてカブをもらったから死んだと言う話になってしまう……。やめろお前これ以上真面目にエヴァを解釈し続けたらお前も死ぬぞと言う気分になってきました。この理由で綾波がLCLになって物語から退場した仮説が正しいとするとやっぱ気持ち悪いな!
碇シンジによる「そっくりさんではなく、綾波レイでもないが、他に思いつかないので『綾波』と言う名前でいてほしい」と言う命名は、碇シンジがこの問題に対して誠実だった証であると思うんですよね。他の、まったく彼女の人生に関与していなかった名前をつける事は出来なかったのだと。シンジの中では「区別はついているが、区別しきれない」と言うのをそのまま伝えているのは、僕としてはありだと思う。
綾波の物語の退場。ここでS-DATがシンジの手に戻る。
S-DATは新劇全般において「シンジとゲンドウのつながり」であり「物語の進行」を司る存在ですから、ここで物語を進める当事者が綾波からシンジに移行したし、それはすなわち「碇シンジvs碇ゲンドウをやる」と言う製作者からの宣言であると受け取れます。
待て。洗礼(サクラメント)が終わった後、ヒロインとしての働きの一部が鈴原サクラに移行するの、もしかしてダジャレか?! は?!?!?!? 気が狂いそう。
本当はここで加持リョウジの話もしておくべきだった気がするんですがそんな余裕なくなってしまったので、葛城ミサトの話でまとめて話すと思います。
『裏世界ピクニック』9話。
ようやく他のアニメ作品を見る気力が戻ってまいりました。アバン百合。ひたすら後ろで羊羹食ってる小桜かわいい。怖い話をしている時の小桜はもっと嫌がっているイメージ。ただ全体としてはここが「一番油断していた時期」なのでこういうもんだったのかもと言う気持ちになりました。
『スパイラル推理の絆』出てきたのなんでと思ったらこれはコミックスの漫画家さん繋がりなんですね。
しかし改めてこのエピソードなっつんの身に起きている事を全部口頭で説明されると衝撃的を通りこしてギャグになるやつだな……。
「距離感」の話のカットの直後、空魚にめちゃんこ距離が近い描写、この集団の距離感の狂いが出ていてわりと好きです。でもその後の歯が抜けて口からドバーッって血が出るシーン派手すぎてギャグになってる(このアニメ、こう言うところが変だと思います)
この話の流れで『髪の毛』の話をしてくるの、急速に「異様」な文脈が生まれるうまい流れ。
『ゆるキャンSeason2』9話。
「バイトで稼いで伊豆キャンや!」だけど高校生がバイトしてもかなり長距離の旅行するの、かなり無理してない(この辺がゆるキャンがゆるキャンらしい場面)
身延から伊豆にバイクで移動する(しかもスクーター)は距離もだけど高低差大丈夫なのかな。海沿いの半島、日本海側の感覚だと「とてもバイクで走るべきではない」ゾーンなので心配してしまう……この感覚はおそらく男鹿半島の「落ちたら死ぬぞ」と言う場所の記憶が由来。
志摩家のめっちゃ健康的な家族関係、僕にはこう言う生がないのでなんだかむず痒くなってしまう。全員がシャツのボタンをきっちり止めた清潔な服装で食事するのも品が良くて、穏やかで平和な空間だと思う。作者のあfろ先生が別の漫画に描いていたんですが、志摩家が実際にあるあたりにはまともな建物はないらしく、そう言うところも含めて架空の存在として描かれているだとは思うんですけど、こう「あってほしい場所」の気持ちがある。
伊豆キャン、コミック段階では現実でやろうとすると肉体が破滅するスケジュールだった記憶があるんですけど、アニメは話数もあるしそのへん調整するのかな。ちらっとそんな話を見た気がします。地学に興味がある人は必見の場面が多いから楽しみ。
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