晴れ/1016hPa/体調:あんまよくない’
コラボではなく本編。
制服やはやての設定からなのはイノセントバースであると思われます。
使命が生まれてしまった……。
観た。
ちょっと前まで地獄みたいな話を続けていたのにこの館の目標とされる物語が「フェルディナンド様の美声コンサートで荒稼ぎしましょう!」ってマジ?
こうした作劇、意図としては「本編の内容でマインの聖女の側面、現代日本人として生活していた経験からくるとしての倫理」が社会に影響を与えすぎているところがあるので「ローゼマインになってもマインはマインなので、読者はそのつもりでいてください」なんだろうと思う。マインがマインのままである事をしめすエピソードがかなり多かったですし。
印刷技術の発展をなぞるプロットで考えると、ガリ版印刷はかなり近世のものですから、実はたいていの印刷機よりも未来を先取りしてる。そろそろ現地の技術では再現が不可能になってきている。このあたりに関してマインはそれほど自覚がない様子で、技術の発展史などには疎そうなんですよね。
まさかこんなにいい話とは思わないじゃん……?
そもそもの話としてヒーリングっどプリキュアは「夢」と言うには重すぎる未来への願い「生きたい(死にたくない)」と密接に関わり合っている作品だから、ヒーリングっどプリキュアと真摯に向き合って夢を語るなら、必然的に重い話になるんですよね。
劇中でのどかの「夢」がなんなのかは触れられない、しかし「とくべつな夢のつぼみ」だとすると、それは多くの人の幸せ願うものであるだろうと言うのが示唆されているだけなんですよね。これが「みんなのために生きたい」だと仮定すると熱いな。
この作品、夢とはなんなのか、と言う問題にけっこう触れているんですよ。日本で子供が「夢(将来の夢)」を問われる時、だいたい返事としては職業が求められるんですよね。しかしヒーリングっどプリキュアは夢はそれに限らせないと言う意欲が感じられます。将来は女将になる事を決めているちゆの夢、国立競技場での走り高跳びの描写を入れたのはそうした意図もあるんではないかなと感じました。
また「夢はエゴを含まざるをえない、例えばスポーツで優勝したいと言う夢なら、あなた以外の全員の夢を潰えさせる必要がある」わけですから、悪役が『エゴ』を象徴する存在というのもいいさじ加減になってると思います。その上で博士の夢「他人を犠牲にしてでも娘に生きていてほしい」が作品の中でもっともエゴな夢として描かれるの、かなり物語の強度が高いですよね。そうしたテーマの取り扱い方、王道な展開に乗せられた「夢の肯定」の作り込みがいい映画でした。
アニメとしても画面の作りに感心するところが多く、二十年支持されているコンテンツの強さをあらためて感じました。
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