2023/03/27

晴れ/1023hPa/体調:ぎっくり腰

「これはダメだ」と思い整骨院に。見事にぎっくり腰でした。足を曲げたら「体、かたっ」ってめちゃくちゃびっくりされました。僕も自分がこんなに体が固くなっていると思ってなくてびっくりしてましたよははは。たぶんぎっくり腰が原因で全身がこわばっているせいで余計ひどくなってると思う。普段出来る範囲のストレッチできなくなくて「さすがに嘘でしょ」って口から出たもん……。

座っていると時々きついんで、仕方なしに立ちながらテレワークしてた。

観た。

お兄ちゃんはおしまい!

原作には存在しない中学同級生たちとの混浴シーンになっている。原作だとこの旅行、中学に入る前のできごとで、同行者は楓ちゃんもみじだけなんですよね。やっぱり原作と危機の質がちょっと違って見えるんですよね。原作だとこれは中学入学前のエピソードなのですが、アニメだと同級生が一緒、つまりは男だとバレるという事の意味がけっこう変わっている。より深い悩みを抱えているのはアニメのほうだと言える。居心地の良さを自覚するし、自分がもとに戻ってしまった世界との垣根を象徴する絵が大量に描かれている(赤と黒、光と影、この世とあの世、スペードとハート……)。こういう画面の演出がめちゃくちゃに豪華なのは、アニメおにまいの持ち味ですね。

原作ではほとんど悩まず薬を飲み干すまひろが、そうではない……という風に、展開そのものをけっこう変えてある。変えるなら雑にやるんじゃなくて、ちゃんと変えるのは作り手が誠実だと思います。

「なんだか就学旅行みたい」と言うもみじのセリフの追加も、家族旅行である原作での旅行との質感の変化に対して誠実だと言えると思う。原作だとまひろの股間を確かめたのは寝ぼけてなどではなく、明確なもみじの意思だったんですけど、アニメではそうではない。原作とアニメの差異を象徴するポルノシーン。

『お兄ちゃんはおしまい!』はアイデンティティの物語で、これは男女どちらの性にアイデンティティがある……ではなく「まひろがアイデンティティを得るための物語である」と言う話だと僕は思っているんですよね(だから妹としての生活の中で、兄としてのアイデンティティを獲得する話も意識的にけっこう行われているんだろうと思う)アイデンティティを得て個人となるのは簡単な行いではなく、一周目の人生ではけっこうな割合でみんな失敗するんですよ。なんで人生の二周目を肯定するのが、「お兄ちゃんはおしまい!」の持ち味になってると思う。モラトリアム、アイデンティティを得るための修行期間が伸びてしまっていいではないか。まひろはまひろとしての生活を続けていいはずで……と言うのを感じる。

原作ではここに「自分探し」の強さを感じるのだけど(と言うか、みはりの兄でもあろうという決断を感じるんだけど)、アニメの流れだと「お兄ちゃんはおしまいです」に思えてしまうのはある、おしまっていいのか? アイデンティティメルトダウンとはこの事か……?

ところで「銅山温泉」って書いてたから山形の銀山温泉が元ネタ? 聖地巡礼、ちょっと頑張れば行けたりする?

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